母のお見舞いに行ってきました。
思えば2週間行ってませんでした。
本来なら少しでも多くお見舞いに行って少しでも多く母とふれあうべきなのでしょう。頭では分かっていてもなぜが行くことができない。何かが僕を躊躇わせる。
今日も時間が無くてお見舞いに行ってもすぐに帰ることになるとは分かっていたけれど、それでも行くことにしました。僕は行くべきなのだ。
母は少し元気になっていた。前回はベッドで寝そべったままだったのに今回はベッドを起こして話をしていた。
「料理をしようと思うんだけどどこで食材買ったらいいかな?」
「あぁ、それはね・・・」
「あれってどこにしまってあるの?」
「それは押入れのね・・・」
他愛の無い会話。僕にはこんなことしか話すことがないのだ。
病院から帰るバスの中で僕は母のことを思い返していた。
体に繋がった幾つもの管、薬や放射線の影響で頭髪の抜けてしまった頭、痛み止めのモルヒネのために少しぼんやりとした目、あまりにもか細い母の声。
バスの座席で独り僕は泣いていた。
悲しいのではない。悔しいのだ。何もできない無力な自分が。
もし臓器移植や骨髄移植で助かるのであれば僕は喜んで自分の体を捧げるだろう。代わりに僕の命がなくなったって一向に構わない。
しかしそんなことも今では無意味なのだ。
人はなんて無力なんだろう。
思えば2週間行ってませんでした。
本来なら少しでも多くお見舞いに行って少しでも多く母とふれあうべきなのでしょう。頭では分かっていてもなぜが行くことができない。何かが僕を躊躇わせる。
今日も時間が無くてお見舞いに行ってもすぐに帰ることになるとは分かっていたけれど、それでも行くことにしました。僕は行くべきなのだ。
母は少し元気になっていた。前回はベッドで寝そべったままだったのに今回はベッドを起こして話をしていた。
「料理をしようと思うんだけどどこで食材買ったらいいかな?」
「あぁ、それはね・・・」
「あれってどこにしまってあるの?」
「それは押入れのね・・・」
他愛の無い会話。僕にはこんなことしか話すことがないのだ。
病院から帰るバスの中で僕は母のことを思い返していた。
体に繋がった幾つもの管、薬や放射線の影響で頭髪の抜けてしまった頭、痛み止めのモルヒネのために少しぼんやりとした目、あまりにもか細い母の声。
バスの座席で独り僕は泣いていた。
悲しいのではない。悔しいのだ。何もできない無力な自分が。
もし臓器移植や骨髄移植で助かるのであれば僕は喜んで自分の体を捧げるだろう。代わりに僕の命がなくなったって一向に構わない。
しかしそんなことも今では無意味なのだ。
人はなんて無力なんだろう。
コメント
私の父は、長い闘病生活の後、先月「その日」を迎えました。お見舞いに行きたい、行くべきだというその気持ちはすごくよくわかります。でも、私も結局土日だけ申し訳程度にしか行きませんでした。それでいいのだと思います。大事なことは回数ではないのだから。どれだけたくさん見舞っても、必ず後悔はあるはずです。お母さんはきっとわかっていますよ。